HOME 2013年 2012年 2011年 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年/2002年
平政の守山教会ニュース
森のうた(2012年)
カトリック守山教会 2012年12月撮影
■ No.75 2012年 11・12月号 |
信仰年開催
YouTube: Imagine - John Lennon 今日は「イマジン」で始まります。 2012年10月11日に始まり2013年11月24日の王であるキリストの祭日に終わります。自発教令「信仰の門」のNo13の言葉を守山教会では皆さんと共に読み、その意味を深めていきたいと思います。 秋も深まり野球の日本チャンピオンへの試合に目が離せません。
12月8日は、教会の暦では「無原罪のマリア」の祭日。日本の歴史では太平洋戦争の開戦の日です。そして終戦は8月15日。「マリア様の被昇天」の祭日。広島と長崎への原子爆弾投下はその少し前。色々考えます。
東日本の大震災、原発も重いけど西アジアのシリアの事は大変だと思う。また中国、韓国、また朝鮮の事も。駐在大使がもっと働いてくれなくてはと思う。また日本の外務省も。
YouTube: Doctor Zhivago - Original Film Score by Maurice Jarre 今日思う事。島袋神父様は司祭になられて初めてペルーに帰省されたそうです。彼は日本に来てから二回帰ったそうです。時間、期間は思い通りになったのかな。 僕も10月1日(月)から5日(金)まで福岡に帰省しました。「帰省」という言葉も死語になったと思った時、東日本大震災がありこの言葉も復活したと思いました。 被災者の子供たちは今どこで生活しているかな。生まれた所、小学校に行っていた所、都会ではない生まれた所。そう、そこが僕、わし達、いや私の生まれ育ったところ。いつ「帰省」が?つづけて気にしておきましょう。
YouTube: J.S. BACH - Jesús bleibet, Cantata 147 YouTube: Gigliola Cinquetti, 16 years old - Non ho l'età in 1964
|
■ No.74 2012年 9・10月号 |
「主の祈り」(2)
>「あかあかや、あああかあかや・・・・・・」この句は相馬司教様から教えてもらいました。 この句の事でなぜ覚えているのか思い出せません。たぶん北陸砺波での名古屋教区の青年の集まりがあった時に、名古屋から貸し切バスで行きました。そのバスの中で司教様が何か一言と言われ、話の結びにその言葉があったと思います。 検索して調べましたが短歌でした。最後の言葉は「月」でした。しかし月では司教様の思いは届かないのか「バラ」に置き換えられての歌の生活でした。今も世話をされたバラは毎年大きな花を咲かせます。その後そのバラの世話を始めたFr.太田はバラにのめり込みました。今は50以上のプランターのバラの世話をしています。相馬司教様の思いが繋がれた事は不思議な事だと思います。でFr.太田はそれを楽しんでいるような生活で。「花々は正直よ」との言葉。 で僕は何を残し伝えて逝くのか考え、思い悩みます。いつも御旨のままにと、思います。 今年もサマーキャンプは敦賀の海に行きました。例年のように僕は酔っ払いの時間。 また、広島教区の平和巡礼に守山教会から2人の中・高生が、また信徒協主催の平和巡礼にも2人の人が行かれました。 それから福島、原町教会に出向された狩浦神父さんから、暑中見舞いと先の応援物資のお礼の葉書がありました。守山教会ではいつでも彼の要請に応える様にと確認しました。
太田神父様が育てている「リュエリア」、日本語で「朝一番」。
YouTube: Carmina Burana - O Fortuna ; Carl Orff - André Rieu
YouTube: 炎のランナー テーマ曲 (ヴァンゲリス) Chariots of Fire - Vangelis
「炎のランナー」は僕が司祭叙階した年(1981)の秋にドバイ、ロンドン、そしてフランス、ローマの旅をしましたが、ドバイまでに何回も同じ映画を見ました。印象に残っています。今回のイギリスでのオリンピックのどこかで流されたように友達から聞きました。
号外 10月21日(日)ミサ後献堂記念をお祝いし、この教会で育った小中高生を中心にした第二回小・中・高学生による音楽会を計画しています。 そして、お昼は「バーベキューを囲み将来の守山教会の事、各家庭の事を話題にして楽しい時間を過ごす予定です。 その日の小中高生の今年のプログラムを、教えてもらいました。「ピアノソロ、『エチュドアレグロ』」、そして『グリーグ・ピアノ協奏曲16番第一楽章』を皆で。ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、鍵盤ハーモニカ、ドラム、クラビィア、指揮者の勢揃い。あ、解説朗読者もいる。 最後は「ごらんよ空の鳥」です。
YouTube: Edvard Grieg - Piano Concerto in A minor Op. 16
7月22日(日)ミサ後、敦賀に出発。
8月5日(日)、朝早く広島に向って教区センターを出発。(この日、守山教会は岡崎の立垣神父様にお願いしましました。)
8月20日(月)午後、セントレアより函館へ。北斗市のトラピスト修道院に出発。
8月30日(木)朝、守山教会出発。新名神を使って和歌山に。時間が早かったので奈良に寄り、春日大社、東大寺の仏様を見て和歌山に。この間、車の運転は僕と神学生の片岡君。彼には左ハンドル車の運転の練習を公園で数回してもらい、あとは任せました。若いので高速も駐車もこなしました。
9月3日(月)、またこの日も朝早く名古屋を出発。神学生の研修合宿です。
|
■ No.73 2012年 7・8月号 |
主の祈り 祈りと共に生活しています。人は色々の生涯を思い描いて生きていると思いますが、実際に思いどうりになって生活をしている人は身近にいますか。僕はどうかな? 僕はそんな時、迷った時、友達に会いに行きます。大した話はしませんが、昔の話をします。その昔の話の中に、青春が思い出されます。 京都に行きました。
今回は大原、「三千院」のアジサイをと思い行きましたが、ふもとのお土産屋さんのこんにゃくとビールが目に留まり、ちょっと休憩、あとききました。
アジサイの庭は高いところまで歩かねばならず、こんな事知りませんでした。歩いて登りました。大変でした。アジサイの見頃はまだのようでした。
次は比叡山の東堂の根本中堂。中は暗闇で灯和を見つけました。お香の臭いでとても気分が落ち着きました。
行くのにロープウェイとケーブルカーですが、お客は僕一人。終点を降り東堂に行くまで、はサルの群れが迎えてくれました。降りはまたケーブル。反対方向の琵琶湖に、坂本まで『坂本ケーブル』。本当にこの日は歩きました。坂本の下りも同じで、人はいませんでした。
京都の兄さんは、「ようやく外国の人の予約が入り始めた」との事。彼は大型ハイヤーの事業をしていますが、先の震災や原発問題で、京都なのに外国人の客足がなかったそうです。 「あかあかや、あああかあかや」 この句は相馬司教様から教えてもらいました。 京都いいね。 ■今年も、春日井の王子製紙のバラ園に水曜日の祈りの会の後に行きました。
■名古屋教区事務所です。
YouTube: ブルックナー 交響曲第8番 第4楽章より |
■ No.72 2012年 5・6月号 |
主の祈り
4月8日のご復活日の八日目の日曜日15日。僕の誕生日、しかも還暦を迎えた日でした。さまざまなお祝いの心遣いに感謝します。 聖土曜日に二人の洗礼式があり、その準備の中で「神の十戒」にもふれ説明をしました。が、僕は第二の掟、「神の名をみだりに唱えてはならない。(神の名をみだりに呼ぶなかれ)」のところでひととおりの話をしましたが、僕自身がまだ物足りない思いが残りました。この事を気にしながら数日過ぎたころ、偶然、現教皇が書かれた「ナザレのイエス」を再度開く事になり、「主の祈り」の項にその答えを見つけた気がしました。 私たちが信じている神は「天地万物を創造された神」。他に「無」の存在はあっても神々の存在はありません。神の名は必要ないことです。仮に名前があるとすれば他者との区別のため、そうなると他に神々の存在を認めることになり、神々の中の一つの個性を持った神になってしまいます。 しかしモーゼは「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と言われた神に、それでは異邦人には理解できないので「名前を教えてください」と願います。そして神は答えて「わたしは、『わたしは有る』という者だ」と。主の祈り「み名が聖とされますように」と祈ります。 神の名の乱用に対し神ご自身が神の名を聖なるものにしてくださるように願います。
YouTube: Verdi.Nabucco.Va Pensiero.MET.2002
|
■ No.71 2012年 3・4月号 |
四旬節
今年も四旬節を迎えます。「四旬節の過ごし方」という談話を日本カトリック司教協議会会長池永潤大司教(大阪教区司教)様が二月下旬に発表されました。この季節、霊的向上の為「祈り、節制、愛の行為」の実践を教会は伝統的に勧めてきました。大司教様は特に「愛の行為」を強調されています。わたし達も具体的に自分の出来る「それ」を考えながら四旬節を過ごして行きましょう。 また、四旬節は自分のそして人々の「復活」を「永遠のいのち」を信じ、希望し、その信仰を深め、その為の準備の期間でもあります。 イスラエル人はカナン入植時点では、流浪の民、遊牧民でした。約束の地に入ったモーゼの弟子ヨシュアに人々は、「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずはありません。」(ヨシュア記24:16)と答えました。ところが、いざ異文化の地に入ったとたんに、その地の神々に惑わされ闘うことになりました。農耕民族の民。地の豊穣を約束する神々に出会いました。そこの民は「死」と「再生」の神を信じるカナン人でした。「乾季」と「雨季」を司る大地母神崇拝を要とする多神教的な宗教文化でした。「アブラハム、イザク、ヤコブの神」の神を信じる一神教とは違いました。 私達はもろもろの「偶像崇拝」の誘惑に会っています。それでも一回限りの「死」と向き合い、「再生」ではなく「復活」への信仰、希望のうちに日々過ごす事が出来ますように。
YouTube: Farinelli: Il Castrato / Farinelli The Castrato, 1994
|
■ No.70 2012年 1・2月号 |
クリスマスと新年おめでとうございます
毎年の挨拶の言葉ですがとても大事な深い意味を持った言葉であると思います。 『水の力』。「力」の意味は、また何処からのもの。「誘惑」とは違う自分ではどうしようもないもの。そこに神の「摂理」を思いたい。 ここに一冊の本があります。「古事記の暗号」藤村由加著新潮社。 その本のあとがきに「古事記神代は、イザナキとイザナミの結婚に始まり、国生みが成され、沢山の神が生まれた。天上においてのスサノヲは乱暴者だったが出雲では英雄だった」何故出雲で須佐乃男命が英雄だったのかその本に説明があります。古事記では「最後に貴い三柱の神を得る。左の目を洗った時に天照大御神、右の目を洗った時に月読命、鼻を洗った時に建速(たけはや)須佐之男命」「大国主神はそのスサノヲの血をひく神である」鳥取県、出雲大社そこは斐伊川(ひいかわ)の終点。その上流がスサノヲの八俣(やまたの)大蛇(おろち)退治(たいじ)の舞台です。そして彼はここで英雄になりました。伊勢神宮と出雲大社の関係は? その関係本等を色々読むと深みにはまりそうです。 「水の力」スサノヲは毎年襲う斐伊川の氾濫をそこへ流れ込む支流をも含めて「治水」を試みた人。「現代のハイテク技術でも、この水の力を使って硬い鉱物を切る」との事。 「水の力」人は水なくしては生きてはいけません。旧約聖書に「マラの苦(にが)い水」の話があります。水はさまざまに姿を変えます。「古事記」は自然との共生を語っているのかも?。
ボレロ シルビ・ギエム
【ギエムからのメールメッセージ】
J.S.バッハ 管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV1068 [G線上のアリア] |
HOME 2013年 2012年 2011年 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2004年 2003年/2002年