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平政の守山教会ニュース
森のうた(2008年)
カトリック守山教会 敷地内の樹木(2008年12月撮影)
■ No.51 2008年11・12月号 |
「お御堂」と「御堂」と「聖堂」の話し
僕は普通に教会の建物の事を「お御堂(おみどう)」と発音し、書いていました。ある時、信者さんから「おみどう」は漢字でどう書くのですか、ワープロで「お聖堂」と出てきましたけどこれでいいのでしょうか、と聞かれて戸惑いました。 「聖」を「み」と発音するのには違和感がありませんでした。例えば城北橋教会は「聖心布教会(みこころ)」の担当です。また、女子修道会では「聖心の布教姉妹会」等々、その例はたくさんあります。しかし「聖堂」の事を「みどう」と発音するのはおかしいと思いました。 そもそも教会の建物を指して「お御堂、御堂」と呼んで使っていたのは隠れキリシタンの子孫たちであったと考えます。宗教行事は、特に冠婚葬祭においてお寺が中心なり物事が運んでいきました。お寺の中心に建つ建物の事を「御堂」と呼んでいました。そんな環境の中でキリシタン達は生きてきたわけです。 時代が過ぎて自分達の教会を建てることが出来るときが来ました。そして立派な教会を建てその建物の事を、お寺の「御堂」という慣わしを意識しならい、しかし一方でははっきりと区別す事を考えました。その結果が「御堂」の前に「お」を付け『お御堂(おみどう)』と発音し書き留めて来た訳です。 「信仰共同体である教会」と「建物である教会」を意識し区別して文章が出来ました。
『カトリック教会のカテキズム』No. 今回もなし、別の話 10月の下旬、福井県敦賀市に僕と信者さん三人とで行きました。今年の夏にも行った訳ですが行き先が違いました。今回「イエスの小さい兄弟会」修道院に一泊泊まりました。修道院といっても民間の家屋を一軒借り修道生活をしている彼らですが、お客さんが来られる事が大好きです。 それはさて置き、敦賀港を見渡せる公園の一角に資料館があります。名前は「人道の港 敦賀ムゼウム」と言います。ムゼウムとはポーランド語で資料館を意味するそうです。「シベリア鉄道と国際港敦賀」「ポーランド孤児難民」「杉原千畝」「敦賀におけるユダヤ人難民の生活」です。 シベリア鉄道は1904年ウラジオストク・モスクワ結ぶ鉄道として全線開通しました。その結果10日間あまりでモスクワまで行ける事になりました。それまではインド洋経由で40日かかる船旅しかありませんでした。 |
■ No.50 2008年9・10月号 |
「来る夏ごとに」 これ(拝借) 「目の前に 紙と鉛筆 さて、さて」と考えました。 胃がん切除から4年過ぎ、「愛知県がんセンター」に担当の先生の診察を受ける為に行きました。 ガンという字を考えました。 「やまいだれ」の中に「品」が「山」とあるになります。あんまりこの「品物」は欲しくありませんでした。幸いに今回のカメラでは大腸と胃にその「品物」はありませんでした。感謝。それでひらがなで「がん」と名称した愛知県には、そんなところを思いやる人が居たと思います。
以下 富井弘光さんの詩 『来る夏ごとに』
山並みを越えてやって来た風に
ウグイスは子供らの笛と歌声を競い
さあ
今年の敦賀でのキャンプは今までとは違い快晴でした。僕はビールで愉快。 |
■ No.49 2008年7・8月号 |
ひまわりの花 主税町教会の桜の花が終わった頃、花壇にひまわりの種を植えました。うまく育つかどうか心配しながら、種の入っていた袋の案内に従い植えました。今、高くのびて育っています。 2004年8月に愛知がんセンターで胃がん切除の手術をした後、退院して九月上旬、Fr.太田師の義兄が経営してらっしゃる大分市の病院に、10日程お世話になりました。温泉付設の病院で、でも僕は一日二回が限度でしたが。 近くの本屋さんに行き、ついでに散歩。「秋分の日」がまだなのに、もう「彼岸花」が屋敷の塀沿いに、また畦道に、咲き始めていました。 病院の駐車場のフェンスぞいには、ひまわりの花が植えられていました。花の大きさは直径20センチ程。茎の大きさも太いし、なによりその高さは僕の身長よりも高い。しかし、もう季節の終わりで、花は地面をむいていました。その一つを切り取り、持ち帰る事にしました。 その後、退院につき、実家の太刀洗から兄夫婦、姪っ子、甥の奥さん達が迎えに来てくれました。高速道路でそんなに負担にならない距離ですけど、当日は雨。霧で運転する甥の奥さんは大変だったと想像します。 実家に帰り、ひまわりの種を次の年に咲かせるためにどうしたらいいのか分からないので、義姉に聞きました。 返事は「乾燥させればいい」との事。 あくる年、信者さんが転居され、その時に前のひまわりの種を渡しました。 返事は「大きく育ちました。」 『カトリック教会のカテキズム』No.-- 今回もなし・・・別の話 最初のページに書いた事です。 大分からのひまわりの種を自宅の庭に植えたひまわりだそうです。
次に今年の主税町教会のひまわりです。
でも今回話したいいことは、福岡の実家にある岩に張り付いた松のことです。
僕が小学生の頃にはもうあり、朝夕水をまく、と言うか与えるのが仕事でした。一メートル四方の大きい岩でしたが、今はちょっと小さくなったように思います。でもそこに住みついている松は大きくならず、昔のままでまだ生きています。 「この石を見て、長い間水に浸かっていました。でも(石を割り)ごらんなさい、中は乾いています」 映画「ゴットファザーIII」の中の言葉です。その松は周りに影響されませんが、水は必要でした。 で、「カバレルヤ・ルスチカーナ」のアベ・マリアの言葉。 『あーあー、なんで、こんな事に』。。。 人の歩みは色々です。 |
■ No.48 2008年5・6月号 |
とーちゃん、かぁーちゃん 皆さんご存知のように、僕は小学校6年生まで福岡県の本郷にある実家ですごしました。 毎日ではなく当番制でしたが、小学生のとき、ミサの侍者をしていました。信者さんたちはほとんどが農家でしたから、ミサの始まるのは 6時30分と早い時間でした。 その当番の日、いつも母親に起こしてもらっていました。時々、何回声かけても起きて来ないので、枕もとまで来て身体をゆすり起こします。時にはビンタがきました。最初の声かけで起きない時は、今日意地でも起きないと心に決め日です。 起こす時の呼びかけは、「政信、時間よ」でした。 僕は母親のことを、「かぁーちゃん」と呼んでいました。 中学生になり名古屋に来てからその言葉を友達からも聞いた事がありませんでした。幼稚園でも聞いた事がありませんでした。そしていつのまにか僕も、「かぁーちゃん」から「ばぁーちゃん」と呼びかけるようになっていました。 守山教会に来て久しぶりに、「とーちゃん、かぁーちゃん」との呼びかけをしている家族を見ました。なんだかほっとする気分と同時に、いいなと思いました。 四月上旬、福岡県の実家に帰ったおり、甥っ子の子供たちに 「とーちゃん、かぁーちゃん」と呼んでみたらとすすめたら、保育園の年長さんの女の子は早速、「とーちゃん、かぁーちゃん」と呼びかけていました。
『カトリック教会のカテキズム』No.28 「復活節と聖母月」 カトリック教会には、五月を「聖母月」として祝う伝統があります。これは中世から始まったもので、ローマやゲルマンなどの異教の五月祭(春の祭り)をキリスト教化したものといわれています。信心としては十七世紀から広まり、十九世紀半ばに定着しました。 教皇ヨハネ・パウロ二世は使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』10で「マリアは御子の受難と死にあずかっただけではなく、愛する弟子という新しい子を与えられたからです(ヨハネ19・26~27参照)。復活の日の朝、マリアのまなざしは復活の喜びに輝きました。そして最後に聖霊降臨の日、そのまなざしは流れ降る聖霊によって燃え上がったのです(使徒言行録1・14参照)」と述べています。 五月は毎年、復活節と重なります。したがって、五月を聖母月としてマリアへの信心を行なうときも、キリストの復活を祝う季節であることを念頭におき、教皇の言葉にあるような主の過越の神秘と関連づけて、救いの歴史の中で果たしたマリアの役割について思い起すことが大切です。 (カトリック中央協議会発行『毎日のミサ』2008年5月号)より転載しました。 カトリック中央協議会 転載許可 |
■ No.47 2008年3・4月号 |
毎回遅れます 守山教会「森のうた」は、原則奇数月の第一日曜日に配布する事になっています。よって、前月の第三日曜日までに原稿を編集者のもとに送らなければ、間に合わない事になります。がしかし、編集者からの催促を聞きながらも、これが中々出来ていないのが現状です。 今回もそのお陰で、3月2日に行なわれた島袋神学生助祭叙階式の報告が出来ます。詳細は本人の言葉お読みください。現在名古屋教区には、3人の神学生が在籍しています。中々彼らと合う機会がないので、つい忘れてしまいます。ミサ後の「召命を求める祈り」を唱える時は、3人の事を思い起しましょう。 さて、教会の暦では四旬節に入っています。この期間、ミサ後、カトリック中央協議会発行の「十字架の道行」を使い「道行」を行なって来ましたが、その先唱は今までずっと僕が行なって来ました。 今年、ミサ後ある人との面談がありましたので、突然ではありましたが、その役目を典礼委員のTさんにお願いしました。少し心配でしたが、教会内部がガラス戸越しに見える会議室で面談を始めました。 時々、僕の視線は、「道行」を祈っている信者さんたち行きました。「スタバト・マーテル」を歌いながら、各留への移動も含め、いつものように進んでいました。ちょっと僕が心配した事を恥じてしまいました。何でも神父がと、言う思いを司祭も信者も持ってはいけないと思います。
『カトリック教会のカテキズム』No.28 「マリアについての教会の教え」を考えていますが、今回をもって、マリアについては一端終わります。 パウロ6世は「第2バチカン公会議第3総会における公会議教父たちへのあいさつ」の中でマリアについて、「マリアはキリストの母、教会の母です」と言っておられます。 前に「神の母」について考えました。 「公教会祈祷文」の中にマリアの連祷がありますが、マリアを母と形容している言葉を12個見つけることが出来ます。 今までマリアの「キリストと聖霊の神秘の中で担う役割」を学んで来ましたが、もう一つの側面「教会の神秘の中で担う役割」があります。 マリアの連祷の12個は、先の二つの役割を合わせた数です。 「マリアは、御父のみ旨と、御子のあがないのわざと、聖霊の働きに全面的に賛同したことにより、教会にとっては信仰と愛の模範です」『教会憲章63』 |
■ No.46 2008年1・2月号 |
おめでとうございます クリスマスと新年おめでとうございます。 教会の暦では1月1日は「神の母聖マリア」の祭日、そして「世界平和の日」です。キリスト誕生から八日目にあたり、その事にマリアが果たした役割を思いおこし、また世界の平和を祈ります。 しかし個人的には、新年を迎えるにあたり新たな決意と色々の願い事を心に秘め教会に出かけるでしょう。その願い事の中に「無病息災」も入っている事でしょう。 今年も僕の身近な人が何人も天に召されました。「永遠のいのち」を願う私たちですが、それでも「死」に向かい合う時やはり辛いものです。 僕は胃がん切除から3年4ヶ月過ぎ、元気に生活しています。感謝です。
以下‘07・7-8「森のうた」に書いた東京の西川神父さんの文章を紹介したいと思います。 彼は月曜から金曜日までの教会の出来事などを1日分650文字程度の文書にし、「週報」と題してまとめ、土曜日にボランティアの人たちと共に印刷し、日曜日に信者さん達に配布されています。教会には別に月一度広報委員会から出される「教会報」がありますが、彼は教会の日々の動きをもっと信者さんたちが知って欲しいと言う事で「週報」を書き始めたそうです。 守山教会の周りも日曜日ごとに様子が変わっています。 「気がつくと癌の記事」 杉田神父様が胃癌で、岩崎神父様が大腸癌で亡くなったり、同級生の平田神父様(名古屋教区)が胃癌の手術をしたり、妹までが卵巣癌で苦しい思いをしていたりするのを見て、改めて癌が身近に感じられます。 早期発見早期治療と言われても、なかなかそうはゆかないものが現実です。身体のどこかが痛くなったり、食欲がなくなったり、やせたりして来たら、立派な癌予告だと言われていますが、ちょっと胃が重くて食欲が無くなるたびに癌ではないかと疑っていたらおちおち生活が出来ません。胃や肝臓はストレスと密接な関係がありますので癌ではないか癌ではないかと気にしていたらそれがストレスになって胃や肝臓をいためるという悪循環も生じかねません。 さて、気がついてみると、癌に関する記事やコラムが雑誌や新聞に良く出ている事に最近気付かされました。新しい治療法が出来たとか抗癌剤のいいのができた特集記事や、奇跡的に重病の癌から生還したとか個人の体験記、それに、癌患者を世話している介護者の手記など、数えきれない程です。そして、以前なら見過ごすような記事でも癌という文字があるとついつい眼が行ってしまいます。そして、何か妹に読ませ、力になるような記事を探しています。 癌の治療も進んでいます。すべての癌を体内から消し去る特効薬はまだ出来ていませんが、10年前20年前からすると想像できない程、薬も治療も進んでいます。地道な研究が日夜続けられているからでしょう。 癌は完全に治るという日がきますように。 |
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