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平政の守山教会ニュース
森のうた(2006年)
カトリック守山教会 聖堂入口から祭壇に向かって(2008年12月撮影)
ステンドグラスは島田章三原画による「復活」(2.28×1.42m)
■ No.39 2006年11・12月号 |
Fr.アルメイダ 教区の中に色々の委員会がありますが僕は「神学生委員会」の仕事もしています。この事で神学生たちと九月の初旬に巡礼しました。それは長崎から大分までFr.アルメイダの足跡たどるということでした。 彼は歩きの旅でしたが、僕達はレンタカーです。もちろん高速道路を使うわけですがその途中に僕の生まれた家もあり、途中下車して、お茶を頂きました。そして大分に向いました。 話はFr.アルメイダから変わり、僕が洗礼を受けた教会の話になります。今村のカトリック信者の「平田」「青木」姓を持つ人達は何処から来たのか。今村出身のある人はそれを根気よく調べられました。そして一つの冊子にまとめられ配布されました。それを僕は頂きました。 話はまた違いますが 「奇跡の村」 佐藤早苗著 という本があります。「河出書房新社」からです。その中に「戦国大名の大友宗麟はその教えを受けるとともに、宣教師たちを保護し布教に手を貸している。」大友宗麟の霊名はフランシスコだそうです。そして彼が豊後(大分)の城主の時彼の一族である人が今村に婿入りして、もちろん彼もキリシタンで、その地域がキリシタンになったのではといいます。豊後、竹田に「平田」と言う地名があります。キリシタン平田はここから筑後に来たかも? その「平田」と言うバス停留場で記念写真。 戦国の時代の「平田」は消え、「Fr.アルメイダ」も消え。今回の神学生たちとの寝泊りの日々は良かった。でも大分の人達は。『大分市には大分市医師会立アルメイダ病院』があります。 『カトリック教会のカテキズム』No.21 「神の御子は人となられた」を考えています。そして「教会は最初の数世紀の間、異端、誤謬に 対して擁護し、その内容を明確にしなければなりませんでした」と書きました。その事について解決する方法としてとられたのが、「公会議」と言われる集会でした。 1回.第一ニケア公会議(325)。この会議はコンスタンティヌス大帝によって招集されたもので318人の教父が出席し、御子が父なる神によって創造されたとするアリウス説を排斥した。 2回.第一コンスタンチノーブル公会議(381)。この公会議には150人の教父が出席し、主としてマケド二ウス派(聖霊を父なる神による被造物と唱える)に対して聖霊の神聖性を定義した。それからも教父たちは集まりを余儀なくされ第6回公会議(第二、コンスタンチノーブル公会議680~681)までこの問題は続きました。 |
■ No.38 2006年9・10月号 |
ニュージーランドに行ってきました
1981年に司祭になった5人の神父さんたちと共に、司祭叙階25周年を記念して 8月21日からニュージーランドに行って来ました。オークランド4泊、ロトルア2泊、機内1泊の旅でした。 ニュージーランドを選んだのは、日本とあまり時差がなかったからです。日曜日を一回留守にしての旅、またたくさんの時間をこの旅行に使えないそれぞれの仕事の都合などがあり、ニュージーランドに決まりました。移動で2日間、現地での 6日間は、充分なゆったりした毎日でした。 ニュージーランドの面積は日本の約4分の3、人口は412万、名古屋市の人口の2倍足らずです。400万の中に先住民マオリ系の人が約52万(13%)居るとのことです。行く前に聞きましたが、「人間より羊、牛のほうが多い」と言う事を実感しました。また宗教では聖公会17%、長老派14%、メソジスト派4%、カトリック13%、その他キリスト教12%の合計60%がキリスト教です。 1981年と言えば前教皇ヨハネ・パウロ二世が日本に来られた年です。僕たち6人の他に15名前後の人が司祭になったと思います。 今回の旅行は、同期司祭たちとの観光を含めた親睦が目的でした。またニュージーランド先住民マオリ族が創設したメソジスト系のラタナ教会の人々と会ったり、Hato Petera College(カトリックのマオリ族の高校)での先生、生徒、保護者と共にマオリ語のミサ奉げ、昼食を共にいただいたり、本当に楽しかったです。
『カトリック教会のカテキズム』No.20 「神の御子は人となられた」を考えていきます。 No.461では<「みことばは肉となられた」(ヨハネ1・14)というヨハネの表現を踏襲して、教会は神の御子がわしたちの救いを実現するために人性をとられたことを「受肉」と称しています」>と言っています。 この受肉されてこの世にお生まれになられた方を「救い主」「イエス・キリスト」と言います。しかし<教会は最初の数世紀の間、「イエス・キリストはまことの神、まことの人」と言うこの「秘められた偉大な真理」(1テモテ3・16)をゆがめられた異端、誤謬に対して擁護し、その内容を明確にしなければなりませんでした>。 歴史上の人物イエスを「まことの神、まことの人」であったと説明するのはとても困難な事でした。そして、色々な説が出てきました。しかし導き手はいつも「聖書」にありました。 |
■ No.37 2006年7・8月号 |
司祭叙階25年を迎えて 僕は福岡県三井郡大刀洗(たちあらい)町字本郷に1952(昭和27)年に生まれました。 「太刀洗南北朝の響きあり 菊地の名前今に残して」この事で乃木大将は「そのかみの血潮の色とみるまでに 紅葉流るる太刀洗川」と詠んでいます。 そして、時代が下って「太刀洗知覧の町の親となる 若き命をこの地で思う」。そんな町に隠れキリシタンの集落がありました。「教会のその双塔を遠くに見 今思うは爺様のこと」 今村教会の近くに本郷教会が分かれてできました。洗礼は今村、教理(初聖体)は本郷でした。「25年教会の恩かみしめて 神の恵みを右に左に」と今思い、感謝します。 思い出
ある年の6月初旬、幼稚園(主税町教会)の欅(けやき)の木にカラス(烏)の巣があることに気づきました。 二羽のカラスが頻繁に来ました。来ては欅の木の高いところに止まります。注意して見ていると、そこになにやら傘をひっくり返したような、不自然なものがありました。飛んできたカラスはその得体の知れない丸い中に消えました。 あとで分かりました。それがカラスの営巣でした。それから二羽のカラスは毎日同じ事を繰り返していました。 事件は突然起こりました。僕の目の前に、もちろんその幼稚園の欅の下ですが、カラスの幼鳥が落ちてきました。僕も驚くし、幼鳥も、一番驚いたのは親烏だと思います。 ばたつく幼鳥を保護して適当な段ボール箱に収めると、どうしようかと主任の義雄神父さんに相談しました。彼は、「しばらく面倒みてから離せばいい」と言われました。 幸いに義雄神父はいろんな動植物の趣味がありましたので、その中のひとつに空いている50センチ四方の籠がありました。その籠がカラスの幼鳥の家になりました。 それから僕たちの食事の席にカラスが加わりました。食欲旺盛、いつも口を開けていました。その口に義雄神父様は優しく一握りの、と言うかそれなりの食べれそうなものをお箸で与えていました。前からの住人のチワワは、籠の中のカラスにあまり関心はないようでした。カラスが時折り巣立ちするかのように羽を広げてもチワワは驚いた様子もなく、じぃ~と注視して「ワン」と言うだけでした。 こうしている間、カラスの親鳥は、いつも幼稚園の近くに居ました。籠の中のカラスは羽を広げるだけではなく、頻繁に羽をバタつかせはじめました。義雄神父さんは「もういいかも」と言われ、僕は籠を持って教会の庭に出ました。 むくの木には二羽のカラスが居ました。 籠の扉を開くと、幼鳥は勢いよく飛び立ちました。 行き先はむくの木でした。 でも止まりませんでした。親鳥たちはむくの木を離れて、旋回し始めていました。そして親子そろった三羽のカラスは、しばらく教会の庭を旋回してから見えなくなりました。 幼稚園には大きなむくの木があります。僕が小学生だったとき、おやつの為にその実を取りに行って危険な目にあった木です。たくさんの鳥たちが、その木の実を取りに来ます。鳩も来ます。集まってくる鳥の中では、鳩が一番たくさん来ます。 でも幼稚園にその鳩たちが居着くことはなく、幼稚園や教会は鳩の害にもあっていません。お寺さんが被っている鳩による被害や、そのための鳩対策の苦労話を聞くと、大変だと思います。 結論、僕たちが助けたカラスが、この幼稚園と鳩とのいい関係を仲介してくれているのかと思いました。そして、今も。 『カトリック教会のカテキズム』No.19 今回から「主は聖霊によって人となり」を考えていきます。 しかし、カテキズムではこの前に「神の御子は人となられた」を考察しています(456~478)。なぜ「みことばは肉となられた」(ヨハネ1・14)のかを教えます。「主は、わたしたち人類のため、また、わたしたちの救いのために天よりくだり」とニケア・コンスタンチノープル信条は宣言します(456)。 では救われるべき人類はどんな状態にあったのでしょうか。 前に「神にかたどって創造された人間」を考えました。そしてその人間の犯した罪を「原罪」と言う事を学びました。また「悪」についても学びました。その事をニッサのグレゴリオは「罪におちていたので再起を、・・・わたしたちは持っていた宝を失ったので、」(457)と表現しました。 「みことばは肉となられた」のは悪の支配下にある人間を救う為でした。 |
■ No.36 2006年5・6月号 |
思い出 (司祭叙階25年をむかえて) 僕が助任司祭として務める教会に電話してきた友達と主任司祭との会話。
その1
その2
それから、僕への電話は少なくなりました。 『カトリック教会のカテキズム』No.18 「神のひとり子、イエス・キリストを信じます。」を考えています。この項は今回が最後になります。 前回からの話の続きでイエス様のイメージを言葉から見ました。でも本当の姿・形はどんなんだろうと思います。参考になる絵はたくさんありますが、しかしそれらの絵はその絵を描いた画家の思い入れが前面に見えてきて、一体どれが本当のイエス様か分からなくなってしまいます。結局個人の好みのイエス様像になってしまいます。では本当の姿は、と元に戻ってしまいました。 そんな時、水曜日の「祈りの会」でこんな話題がありました。「新約聖書の時代、人の髪の毛は長かったのかな」と。頭髪の長短でイメージも変わってくる。「ローマ兵はみな短い」「ユダヤ人は」「肩まである人もいる」しかし分からない。「1988年の事もあるけど聖骸布」もあると。分からなくても良いのかも。 |
■ No.35 2006年3・4月号 |
イナバウアー トリノ五輪が17日間の戦いを終わって2月26日終了しました。日本が獲得したメダルはフィギュアスケートで優勝した荒川静香の金メダル一個だけでした。初めて聞いた言葉そして覚えた言葉が「イナバウアー」。50年ぐらい前のドイツの選手、「イナ・バウアー」の創案した技と言う。その選手の名前がそのまま技の名前になったそうです。 しかし、この技は得点に加算されないそうです。荒川は得点にならないイナバウアーにこだわった理由は、と聞かれて「フィギュアは採点競技であるとともに楽しんでもらう競技、 ・・・長くお見せして、採点よりも、記憶に残る演技がしたかった。」(3月1日中日新聞より)と答えています。いい言葉だなあーと思いました。選曲のイタリア歌劇「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」もよかったです。 さて、教会の暦は今日(3月1日)から四旬節。私たちの回心と犠牲と祈りと愛の行為をもって、イエズス様の十字架の犠牲に向き合う時です。そしてその向こうにあるイエズス様の復活によってもたらされた新しい命を待ち望む時です。 また、例年のように四旬節キャンペン資料が届いています。課題小冊子『ひびき2006』は「非暴力による平和への道」がテーマです。是非、持ち帰り一読して下さい。 『カトリック教会のカテキズム』No.17 「神のひとり子、イエス・キリストを信じます。」を考えています。No.16の続きです。 「マルコ福音書」の「メシアの秘密」について。田川健三著「原始キリスト教の一断面」(勁草書房1968、1974年)を久しぶりに読み返しています。 この本で「マルコにメシアの秘密はない。」と結論しています。また、1975年に田川が学んだフランスの新約学者エチエンヌ・トロクメ著「ナザレのイエス」がヨルダン社から翻訳、出版されています。この中では「イエスとは誰であったか」という題で「メシアの秘密」について考察しています。 「<イエスの秘密>は後の世代の人々が、多少とも人為的に作り出したものではない。それはナザレ人の態度・振舞いのなかに深く根ざしているのである。」その具体的内容は、「イエスのイニシアティヴ、異常なほどの力強さ、人々の抱くイメージの受容」。 |
■ No.34 2006年1・2月号 |
新年おめでとうございます
皆様、あけましておめでとうございます。 昨年12月中旬の降雪については色々心配させられました。クリスマスのミサまでには道路の雪も解けて良かったと思いました。でも国内各地ではこの雪での被害が伝わってきました。まだこれから何回かの雪があると思いますが、日曜日に重ならないと良いなァと思います。
いつものように'06年の司教年頭書簡が教区ニュースに載っています。題は「信仰共同体である教会の一致と福音の証し」です。 昨年は司教年頭書簡にそっての教区年間テーマに充分に時間を取り対応する事が出来ませんでした。司教様は昨年に続いて「自分が属している信仰共同体について自分自身について問いかけてみましょう。」と、次のような問いかけをされています。
(1) 自分にとって教会はなんでしょうか。 人は自分が自分である事についていくつかのアイデンティティーを持っています。自分の居場所もそのひとつです。その意味で自分と教会はどうですかと、問われているようです。 『カトリック教会のカテキズム』No.16 「神のひとり子、イエス・キリストを信じます。」を考えています。 「イエスはキリストである」と言うことにテーマをしぼって考察するのを「キリスト論」と言います。今「上からのキリスト論」と「下からのキリスト論」と大別されるそうです。 20世紀初頭、2つの福音書研究の本が出されました。有名なシュヴァイツァー博士の「イエス伝研究史」とヴレーデの「福音書におけるメシアの秘密」です。前者を19世紀的な福音書研究に終止符を、後者は20世紀の新しい新約学の進むべき道を予告したと(田川建三)言われます。 ヴレーデは特にマルコ福音書に見られる「秘密」関する動機がいくつかあり、それらを「メシアの秘密」と名づけ考察しています。「復活してメシアになった、と生前からすでにメシアであった」という考えの緊張関係がそこにはあったとします。 |
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