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平政の守山教会ニュース
森のうた(2009年)
カトリック守山教会 聖母子像(2010年1月撮影)
■ No.57 2009年11・12月号 | |
男所帯 修道司祭は基本的には2人以上の共同生活。でも、僕たち教区司祭は、特に日本では司祭の数が少ないので、1人で生活しているのが一般的だと思います。しかし役職名は主任司祭です。その彼を助けるのが助任司祭ですが、今は先のように司祭がいないのでどこでも1人、です。それなのに、手紙にはわざわざ主任神父様と書かれています。おかしいですね。 まあそれはさて置き、男の1人住まいは、転勤族のサラリーマンの世界では当たり前のようです。僕の友達は3年で転勤です。役職が上がればなお、お母さんの世話は彼の奥さんが全部です。その間に3人の子供達を育て、しかも神様のもとに送るまで何年もの介護でした。いろんな事があったと思います。でもいつも、会う時には変わりのない大学時代の彼と僕、そして彼女の姿です。
男一人所帯は今の僕ですが、落語の話しで「男所帯」は蛆がわく、蜘蛛の巣が張りめぐらされ、との話を聞いた事がありました。 今、その話は本当だと思います。この自分の部屋の簡易コンロのうえの土鍋の蓋を開ける力がありません。なぜならまた前に見た蛆がなんて、その前に洗わなくてはと思ってはいるんですが、天井には大きな蜘蛛がもうミイラになってぶら下がっています。 そういう意味では、夏に掃除をして下さったご婦人たちには本当に感謝しています。
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■ No.56 2009年9・10月号 | |
無言館 8月20日より、ようやく夏盛りとなった名古屋から蓼科へ行きました。次の日21日、信州、上田市にある「無言館」という美術館に行きました。 僕の実家は、福岡県の太刀洗町(たちあらいまち)です。市町村統廃合で、太刀洗の属する三井郡(みいぐん)も近隣の町と合併し、共に「市」に格上げとの話がありましたが、住民の意向でそれはならず、今も三井郡太刀洗町です。それはともかく、福岡県の私鉄電車は「西鉄」。その本線から枝分かれしている単線が15キロ程あり、僕の家はその終点「甘木(あまぎ)」駅のすぐ近くです。 この単線があるのは、戦前、近くに「太刀洗陸軍飛行学校」があったからだそうです。現在はその面影はありません。しかし鹿児島県の知覧町に行けば、知覧の飛行場は分校で、本校は「太刀洗」であった事が良く分かります。 『知覧には1942年に太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校し、1945年、沖縄戦の特攻基地となり多くの若者がここから飛び立っていきました。館内には零式戦闘機や3式戦闘機「飛燕」、特攻隊員として若い命を終えた1035名の遺影、遺書、遺品等が展示され、敷地内の特攻平和観音堂には1026柱の特攻隊員の霊が祀られています。』(知覧特攻平和会館の案内より) (鹿児島県南九州市HP 知覧特攻平和会館) 「平和会館」に行くと、20代の若者たちがどのような思いで残された日々を過ごしていたのか知り、悲しくも無念の思いが沸いてきましたが、しかし彼らは飛行機乗りを選んだプロたちでした。一方では離れた人々、特に家族の人々とへの言葉の中に読み取れる事は自分の思いを「捨てて」の内容です。太刀洗飛行学校からも充分な訓練を受けずに知覧に配属された若者もいたことでしょう。 「無言館」は、正式には 戦没画学生慰霊美術館「無言館」と言います。「現・東京芸大」、「旧・帝国美術学校」、「京都絵画専門学校」、「太平洋美術学校」に在籍しあるいは卒業し、先の戦争で戦死あるいは病死した20代の画学生約60名の遺作、遺品、家族への絵ハガキなどが展示されています。(上田市役所HP) 出征直前まで絵筆を離さなかった画学生、戦場で、戦場からスケッチを家族に送り続けた画学生。戦争より最後まで絵を選んだ若者たちの姿が見えてきます。 戦争は今でも、多くの若者を死に追いやっています。 先の二つの施設は、「平和」について考えるよう、戦争の犠牲になった若者たちが語りかけている「場」だと思いました。
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■ No.55 2009年7・8月号 |
ブログと日記と埋もれていた日記
「里住まい ホトトギスの声 聞きたれば 「我と来て 遊べや 親のない雀」 (小林 一茶 作)平田 選 現今自分のブログを携帯電話も含めて800万人以上の人が開設利用しているとの報告記事を読んだ事があります。いわゆるHPの維持管理よりはブログの方が割安で簡単、しかも即時性があり、自分の得た情報を直に知らせる事が出来ると言う事だそうです。
そのブログの内容は しかし (3) のタイプがあると思いました。 それはノートに書かれた日記です。そして誰にも読まれる事のないその様な日記を大事にしている人たちが、今も大勢いらっしゃると思います。 (3) のタイプの人、主税町教会の南に山吹小学校がありますが、江戸時代、校内の一部が彼のお屋敷でした。「中公新書」『朝日文左衛門』の日記が残っています。 彼は、今で言えば課長さんぐらいでしょう。1691年から1718年まで、27年にわたり日記を書いていました。それにより、当時の文化風俗を理解するにあたり、ありがたい文献になりました。 彼は釣りが好きで、たびたび楽しんでいます。彼の縄張りは庄内川でした。勝川、味碗、小幡、龍泉寺、大森でした。 ずっと以前になりますが、Fr.太田に誘われた講座がありました。大谷派のお寺でした。日の出と共に集合。「暁天(ぎょうてん)講座」『金子みすず』の生涯を彼女の詩と日記を読み、思いを馳せるとの講座でした。
『カトリック教会のカテキズム』No. 今回もなし、別の話 広島での8月5日、19:30。広島教区カテドラル(世界平和記念聖堂)にて毎年「平和祈願ミサ」が奉げられます。もちろん次の日には「原爆犠牲者追悼ミサ」が同じ聖堂で行われます。 5日のミサの中のアレルヤ唱(Karen Lafferty)は聞いた事のないメロディーでしたので「式次第」を持ち帰りました。そして「祈りの会」の始めの歌にしました。 ところがNHKで放送された「白州次郎」の2回目のエンディングメロディーで、それに似た音が流されていました。そのビデオを「祈りの会」で見てもらいました。 「祈りの会」に出席されていた信者さんが、それと違うアレルヤのCDをくれました。 彼女いわく、彼女と同じように小さなライブハウスで演奏を始める時、必ずそのアレルヤを歌ってから彼の時間が始まるそうです。 *さてここの欄のテーマと内容が違って来ていると思いませんか。少しご意見を。 |
■ No.54 2009年5・6月号 |
司祭の誕生 3月20日に、エルネスト島袋幹男(よしお)助祭の司祭叙階式が行われました。 彼におめでとう、そしてわたし達に。 わたしたち守山教会にとっては短い期間、時間ではありましたが彼が司祭になる事を志し、その歩みの中のほんの少しのあいだですが共に「司祭、神父」のありかたを考えてきたと思います。そして歴代の主任神父様方にも思いが行ったと思います。それはそこに自分の時代があったからです。 彼のこれからの働きに神様のお恵みがありますように祈りましょう。
今年の聖週間は本当に天気が毎日晴れ。そしておまけに「ご復活の日」の祝いの日が遅く、「聖週間」の木曜日の典礼が終わり外に出ると、正面にまん丸のお月様が見えました。この日が満月の日だったと、次の日に知りました。 何故いつ「復活の日」を祝うのか知っていましたが、今年の事は記憶に残したいと思います。何故なら、毎年めぐり来る季節に自分の歩みを振り返る機会を、教会の「暦」は与えてくれます。特にこの「復活の日」祝いは。 この教会に転任して来て早朝ミサを終え外に出ると、正面にあわい暖かそうな太陽が見えました。「さー今日一日がんばるか」と、不謹慎ですが「ミサ」の時とは違うまた元気がわいてきました。 そして思います、神様は、色々のかたちで私達に語りかけていらっしゃると。 神様は側にいらっしゃいます。 『カトリック教会のカテキズム』No. 今回もなし、別の話 僕は学問に近づく事の才能がなかったと思う人間ですが、それでもいくつかの疑問を何とかしたいと、その辺の話題があると気になります。その一つが、上の佐久間神父様の書かれた文章です。 「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」(ヨハネ福1:1) 「この言葉は、初めに神と共にあった」(ヨハネ福1:2)[両節とも新共同訳] 言葉は神と共にあった。言葉は神であった。 言葉=A、神=Bとして Aは共にBといた。次に、AはBである。文章がおかしく理解が。 三位一体の神様を信じている私達には何も疑問がないかも、でも僕にはありました。 |
■ No.53 2009年3・4月号 |
人馬一体 守山教会の近くに龍泉寺という天台宗のお寺があります。本尊は馬頭観音菩薩。このお寺は尾張四観音の一つ。徳川家康が名古屋城を築城した時、鬼門の方角にある龍泉寺、荒子、笠寺、甚目寺を定めたとの事。 中仙道木曽福島あたりでは、古来から馬の産地で、道端には石に刻まれた馬頭観音像がたくさん見られるそうです。どうして家畜が観音さまと結びつくのかしりません。でも馬が人々の生活と深く関わり、その人々の生活を助けて来たことは確かだと思います。家族同然に育ててきた馬を、お金の必要の為、やむにやまれず売らなければ離さなければならない事もあったでしょう。先の龍泉寺には、円空作一刀彫の馬頭観音菩薩像(122センチ)があります。 先日、友達から車の調子はどうですかと連絡がありました。前は一日平均30キロ前後乗っていましたが、今は乗らない日の方が多いです。 この車、ビートルについて一つ気づいた事を話しました。それは、エンジンをかけて直に走しらせてはダメ、少しの時間、暖気しないといけないと言う事です。友達は、「そう、その車はそこが欠点で、しかし昔の車は皆そうだったよ。人馬一体という言葉があるでしょう」との事。 今の僕は守山教会を馬に喩えて、「人馬一体」になりすぎて止まりもせず、そうかと言って駆けもせず、のんびりし過ぎだと反省しています。
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■ No.52 2009年1・2月号 |
クリスマスと新年おめでとうございます
毎年同じ言葉をもって挨拶します。その言葉を言える僕はなんと幸せな事かと思います。そしてこの気持ちがこの一年を支えてくれます。またこの一年よろしくお願いいたします。 テレビ、新聞の報道を見聞きする日々に、おめでとうはないでしょう、との声が僕の耳に聞こえてきます。これを書いている今日は(12月14日)待降節第三の日曜日。教会の典礼、暦では『喜びの主日』と言われています。 第一朗読はイザヤ61章
主はわたしに油を注ぎ 預言者イザヤが自分の生涯をかけての仕事を見つけた時の言葉と受け取りたいです。そこには神様からの支えに信頼するイザヤの確信が見えてきます。 しかし、僕の生活の中身はそうも行きません。身近な事柄をかえりみて思います。この心は何とかならないのかナーァと。 クリスマスにはカトリック教会への「受け入れ式」をご夫婦が承諾、そして「信仰宣言」(Credo)を唱えて、御聖体を頂かれます。続いて三人の大人の人の洗礼式があります。その方々との準備の期間に教会の教え(教理)を説明してきました。でも教会の教え(三位一体の神)と随分距離がありそうな生活を生きて来こられた今までの歩みを聞き思いました。やっぱり神様は側におられると。 話したくなったら目に見えない神様に。 『カトリック教会のカテキズム』No. 今回もなし、別の話 信者さんが本を持ってこられ「神父様の興味ある本だと思います」と言っていただきました。 読み始めてちょっと違うなと思いましたが、直にある人の顔が出てきました。彼は「算数が出来ないのに数学が得意」との話を聞いていましたが、その辺の事が分かりませんでした。頂いた本を読みすすみ想像するに数学と言う学問は、なんとなしにそれにたずさわった人の思考回路を変えさせないようです。「哲学」の学問と同じだと思いました。 過去の「森のうた」の中で「ヘクト・パスカル」と言う言葉を使いました。そのパスカルはフランス人のパスカルで「パンセ」と言う本など残した哲学者、数学者でした。 そして数学の話。この数式 は何でしょう。n が2であれば正解。それ以外の整数はでは「XもYもZも存在しない」という数式だそうです。 |
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