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平政の守山教会ニュース
森のうた(2010年)
カトリック守山教会 2010年2月20日撮影
■ No.63 2010年 11・12月号 |
嗜好品、タバコについて 10月1日からタバコの価格があがりました。僕が楽しんでいる銘柄は140円の値上げ。 タバコについて祖父、親父の記憶があります。家の真ん中かに大きな丸い火鉢がありました。この火鉢をめぐっての話し。夏は火がない、冬にはこの火鉢の周りに子供達つまり僕を含めて囲みます。火鉢の炭の上でスルメが踊っています。親父の酒の肴のお裾分けです。爺ちゃんは臭いだけをたのしんでいました。 タバコの話し、里帰りした孫(僕の兄)がタバコをスパスパ、でも半分で終り。その半分は火鉢の中、爺ちゃんは孫が帰った後、それを拾い上げゆっくりプカプカと煙管でたのしんでいました。親父は「しんせい」と言う銘柄のタバコをいつも半分に切り煙管でふかしていました。 僕のこずかいせんの話。煙管は時々煙の通り道を掃除しなくてはなりません。米藁、麦藁を使い筒の中を風通し良くします。これが一つの稼ぎ、爺ちゃんのと親父の煙管の掃除でいくらかもらえました。また、親父がタバコを切らした時、僕が買いに行きました。これもお金になりました。 僕の前任地、主税町教会の平田義雄神父様は享年83歳。ローマ留学の時から嗜んでおられたパイプタバコは止められ、日本のタバコに変えられていました。僕が助任の時神父様は「ヘビースモーカ」でした。病気入院の時はさすがに禁煙。僕も彼の様に、・・・**? タバコを楽しんでいる時の形容詞の表現。 「スパスパと」、「プカプカと」、「ふかして」など、先の文章を書いている時に気づきました。その三つの言葉の使い分けを変えると意図した文章になりません。 まぁそれはさて置き悩ましい値上げの額です。140円とは。ひと箱300円から440円になりました。
J.S.バッハ
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3. 【追記】 がんセンター卒業 今日(10月27日)、がんセンターに行きました。それは胃上部内視鏡検査診療の為でした。 いわゆる「胃カメラ」を飲み込み、胃のがん細胞切除後の経過を見てこれからの診療に役立てる診察です。何回やってもこれは好きになれません。 「胃カメラ」の診療が終わったとき、担当の先生は「胃はきれいですよ」と言われました。僕は「ヤッタ」と思いました。 それから今度は内視鏡の先生ではなく所謂、消化器外科の担当の先生の診療です。実際に手術をされる先生です。僕の場合、担当の先生の交代がありました。今担当の先生は術後にお世話になっている先生です。 先生は「あなたは胃がん削除から5年終り今年が6年目です。カメラでは異常はないと判断できます。『がんセンター』は卒業です。今までの定期の検診は必要ありません。が、掛かりつけのお医者さんとは仲良くしてください。」との事でした。 今日はビールが美味しい。(2010年10月27日の夜) |
■ No.62 2010年 9・10月号 |
「主の祈り」について」 前の「森のうた」で私達は主の祈りを「持っています」と書きました。改めてその祈りの内容を黙想する7月、8月になりました。時間が許す限りその事の書かれた本に向き合いました。そして僕も疑問に思っていた事ですが、何故私たちの信じている神を「天におられる私たちの『父』よ」と呼びかけ、その父性を、教会は、また旧約聖書、新約聖書でも、そして今でも大切にして来たのでしょうか。 では神様は男でしょうか。 違います。男でも女でもありません、と言うしかありません。 また神の名を尋ねるモーゼに、「わたしは『わしは有る』という者だ」と答えられました。 これは名前であると同時に名前ではありません。神は端的に存在なのです。 ではイエズス様は「アッバ、父よ」と祈られた事の意味はなんでしょう。 聖書学者は色々の解釈を私たちに教えてくれます。聖チプリアノ司教殉教者は主の祈りについて、「いかに多く、いかに偉大なものであろうか。簡潔な言葉にまとめられているが、力の点で霊的にどれほどゆたかなものであろうか。」と言っています。旧約、新約聖書の基調をなすのは神が自らの名を人間にあらわす事により救いを完成される、と言うものです。 イエズス様は全生涯を通して「み名をあらわした」方です。このイエズス様の言葉によって、神の霊と共に私達も「アッバ、父よ」と祈ることが出来るようになりました。
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■ No.61 2010年7・8月号 |
ある修道者の死 彼と初めて会ったのは僕が20歳の時。年上の神学生に誘われて彼らの住む川崎のアパートを訪ねました。 何故かそれ以後時々訪ねる事になりました。特に哲学課程を終り2年間の社会人生活を過ごす時にはお世話になりました。神学課程に戻れたのも彼らのおかげです。彼らの生き方あるいはそれを支える霊性を少し理解し僕でも司祭になれると思いました。もちろん彼らとの生活のリズムは違うけど彼らが大事にするフーコの「わが父よ、この身を、あなたに委ねます。思いのままに、なさってください。‥」との祈りは僕の祈りになりました。そして今でも僕の支えになっています。 僕たちには主イエズス様が教えてくれた祈り「主の祈り」を持っていますが、それを具体的に生活の場で実行しているか、それを確かめるにはもっと、もっと具体的な祈りが必要と思います。聖人たちは自分の祈りを創作しました。例えば、聖フランシスコは「平和の祈り」を唱えました。 僕は、そして皆さんもお祈りをしています。でも自分のお祈りの言葉を持っていますか。何でもいいと思います。「ロザリオの祈り」とか、自分の身近な事と神様を結びつければ。その言葉は日々変わる事でも。 6月10日に神様のもとに帰った「榊原 義」(Guy Sakakibara Bouyer フランス アンジェ出身)に永遠の安息を祈ります。彼は僕の兄のような存在でした。(1939.06生/ 十2010.06) ♪(MP3 再生) 「ア・タント・・・多くの悲しみに」映画(仮面の中のアリア)より |
■ No.60 2010年5・6月号 | |
司祭の誕生
今年も一人の司祭が誕生しました。ダビデ伊藤大有君です。皆さんもご存知の人です。彼のこれからの奉献の日々の生活に神様の導きと恵みがありますようにお祈いましょう。 僕は九人兄弟の一番下。一番上の兄とは家で共に生活した事はありません。しかし名古屋に来る事になりいつもお世話になりました。その兄の奥さんである義理の姉さんはいつも夜汽車の時間を気にしながらおにぎりを持たせてJR(久留米)駅まで送り出してくれました。で、五月の連休に福岡に帰るつもりでいます。福岡の大神学校にはこの4月から名古屋教区の浅井神学生が居るのでついでに訪ねようと思います。 この3月、4月は本当に色々の事がありました。まず4月から週3回教区事務所に行くことになりました。そして思いもしなかった事、高畑一成さんの突然の帰天、下に富井さんの「惜別」の辞を拝借して記載しました。また佐藤友音さん、柴田紗代子さんの結婚式など。
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■ No.58 2010年 1・2月号 |
おめでとうございます
クリスマスと新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。あっと言う間に一年が過ぎ去ったような感じです。年齢を重ねるごとに時間の間が速くなるような気もします。でも人により感じ方が違うと思いますが。 教区付司祭の集まりが年に二回あり、その二回目の会合が先日(12月下旬)にありました。話の中身は毎回ですが司教を中心に年の差はあっても皆兄弟であることの確認です。そして次に個々の具体的な提案事項が話し合われます。最後に各人の「危機管理資料等」の変更、更新があれば事務局に提出して下さい、との連絡があり終会、そして昼食会です。 「危機管理資料等」の中に「遺言書」も入っています。僕はふと遺言書を何時書いてそのコピーを提出、預かってもらったのか考えましたが思い出せませんでした。 僕の「遺言書」の入った封筒の表に「1998年1月4日」と記載されていました。その内容のコピーを入れたもう一つの封筒があり、中身の紙面を取り出し読んでみました。今の自分の思いとなんら変わるものではありませんでした。10年以上も時が過ぎているのにその思いに変化がないという事に「ホット」するも、何か寂しい思いもします。 新年になり新しく「遺言書」を書き直そうと思います。中身は同じ、住所等の変更のみ。
2009年10月、布池文化センター「セシリアホール」で開かれた吉村直美さんのピアノリサイタルに行ってきました。(太田神父様のブログ参照)
掲載の許可をいただきましたので、CDから一曲、ご紹介させていただきます。
ピアノ演奏:吉村直美 |
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