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平政の守山教会ニュース
森のうた(2011年)
カトリック守山教会 2011年12月5日撮影
ステンドグラスは島田章三原画による「復活」(2.28×1.42m)
■ No.69 2011年 11・12月号 |
挨 拶
聖書から、パウロさんのフィリピの人々への手紙。 「キリスト・イエズスのしもべ、パウロとテモテから、フィリピにいる、キリスト・イエズスに結ばれた聖なる人々、特に、監督者、奉仕者の皆さんへ。わたしたちの父である神と主イエズス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。」(Ⅰ/1-2) この手紙が書かれたのは西暦56~57の頃だそうです。今こうして日本語で読めることに感謝です。そして人を思う心は何時の時代でも変わらないのだと確認し、あらためて「人間」とはどんな生き物だろうと考えます。 挨拶は「絆」。 東日本大震災の事を思い浮かべます。 「ユウオデアに勧め、また、スントケに勧めます。どうか、主に結ばれているものして心を合わせて下さい。まことの『仲間』、そう、あなたにもお願いします。この婦人達を支えてください。」(Ⅳ/2-3) そして、最後の挨拶「キリスト・イエズスに結ばれた聖なる人、一人びとりによろしく伝えてください。わたしといっしょにいる兄弟達があなたがたによろしくと言っています。」 守山教会でも新たな動きが始まりました。本当の兄弟姉妹、共同体に成長する事が出来ますように聖霊の導きを願いたいです。そして北関東、東北の人々を気にして行きましょう。
カヴァレリア ルスティカーナ / マスカー二 |
■ No.68 2011年 9・10月号 |
記 憶
東日本大震災から9月11日で半年を迎えます。 日本カトリック司教協議会会長は、3年間、全国の司教で応援しましょうと、人材的に経済的にもと、確約を取り決められました。名古屋教区もそれなりの司教様の指示があるかと思いますが、守山教会でおこなっている募金は引き続きつづけたいと思います。気に留めておいてください。 僕はもう神学校を卒業して、司祭になっても25年以上たちます。最近夢に困った事がたびたびあります。それは司祭になる為の単位、そしてそれ以上に大学を卒業する単位があるのかなどで卒業出来るのか。夢の中で悶々と、汗をかいて起きた事もあります。今反省、本当に学問していなかったと。夢の中で単位の取得の問題で悩んで目覚めて、「今の僕は」と考え、時間を置いて自分でも笑いました。 今、片岡神学生が守山教会に世話になっていますが、僕の反省も含めて学問、勉強と、学習は大事にしてもらいたいと思います。しかし、司祭の司牧の現場に立ち会うことも大事かと思います。でも僕は良き模範を共に生活していて良いのかとちょっと心配です。 しかしそれはともかく、東日本大震災の被災者の方々の事は、毎日気になります。祈りのうちにと、皆さんと祈りますが。 情報は継続的にカトリック中央協議会のウェブサイトに書かれています。
Rod Stewart - Sailing |
■ No.67 2011年 7・8月号 |
日々の歩みと摂理
僕の事務室というか夜のリラックスルームでもあるがこの部屋には色々の生きものが顔を見せる。 最近は大きな蜘蛛みたいなのが。信者さんにその話しをしたところ、蜘蛛でなくトンボの一種との事。次に多いのが、暖かくなったのでゴキブリさんがひんぱんに顔を見せてくれます。次にコバエさん。この子達はどこから来るのか、僕のビールグラスにたくさん。そして中で水分が欲しいのか、あるいは酔っ払っておぼれたのか、浮いている事もあります。 「ゴッドファーザーIIIの映画の話し」 ゴッドファザーの言葉で銀行家を殺しに行きます。そしてその暗殺者は標的の銀行家に会いました。 ガードがきつく何も持たず手ぶらのまま彼に会います。で、ボスのコルレオーネの伝言を伝えます。その言葉は、「とても大事な話、貴方の耳にそっと伝えたい」と。 ガードマンは、「凶器は持っていません」と銀行家に言います。安心した銀行家は暗殺者を身近によび、コルレオーネの伝言を聞かせてくれ、と。がしかし、暗殺者の言葉は「貴方はケチな、まやかしやろうだ。」と言って彼のかけていたメガネを取り、そのつるで喉もとを刺し確実な死を与えるためにその凶器、メガネのつるで喉もとの傷を広げました。 その暗殺者もその場で射殺です。その暗殺者の奥さんと子供達はこの事があったのちにもボスのコルレオーネの保護と配慮もとですこやかに日々過ごしていきました。なんか悲しいね。 で、我らの組織(共同体)はどうだろうと考えました。 ボスは司教様。そのまたボスはローマのパパ様。 誰かの為に自分の命を、生涯を捧げますか??? 思いはイエズス様へ。
Long and Winding Road (YouTube) |
■ No.66 2011年 5・6月号 |
「東日本大震災」と教会の典礼で御復活 2011年3月11日(金)午後2時46分頃に起きた東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)に関する情報をまとめて掲載してい Web ページ(カトリック中央協議会) があります。 東京教区、さいたま教区、仙台教区また他の教区の震災後の取り組みが記載されています。長期の支援が必要だと思います。出来る事で応援して行きましょう。被災者の方々に、そして別離の悲しみの中に辛い避難生活を送られている方々にお見舞い申し上げます。
WE ARE THE WORLD (YouTube) 4月15日は僕の誕生日でした。信者さんのメールのお祝いの言葉で「そうか」と。 後一年で60歳還暦を迎えます。『論語』では「六十而耳順」と書かれています。時代感覚が違うのかなァーと、思います。でもそれもそうだと思う一面もあります。過去の記録は何処かで残されます。約60年の年月の歩みの中の自分の事を何処かで話し、また聞いた事を頭の隅に残こし話します。 僕は今まで大きな自然災害の場面、状況を経験した事がありません。しかし、僕の実家、太刀洗は昔から、陸の孤島と言われていたそうです。その人々は、夏台風の季節になると筑後川が氾濫して、田植えをしてようやくこれからの時に水に流され、育ちかけた稲は全滅と。 それでもこの地が良いと思い残ったキリシタンたちの集落だそうです。それで何時も貧しい。 今はそんな事など話題にもあがらない思います。 そんなこんなでも御復活おめでとう。 『筑後川』
「春先の筑後川は菜の花が主役である。広い河川敷を黄色い花が埋め尽くし、・・・それは春の筑後平野を一面に敷きつめる緑の麦畑に、命の水を送りつづける母なる川である。」 「だがそれは突然だった。麦畑の彼方、春霞のなかにふたつの尖塔が見えたのは、まさに突然だった。」『天主堂』(光の建築)淡交社H16年雑賀雄二著。から。 それはフランスの『ノートルダム教会』と同じ。起伏のある広々とした畑(360度見渡す限り緑の畑)の中を目的地に向かい歩いて行く、重い足取りは心と目線の先の終り地が支え。疲れて休まなきゃと腰をかがめるとそれは突然、はるか彼方に二つの尖塔が見えた、との内容の書かれた本を読んだ事があります。 今村の教会はそんなところに建っている。田んぼと畑だけの春は緑、秋には黄金色の田んぼ、農家の生活に溶け込んだ様にも思えるがその存在感は何処か違う。この感覚はなんだろう、と思う。 多くの先祖たちの気持ちがその建物に刻み込まれて、『ある』からだろうか。 僕達が信じる神の名は『わたしは在る』という方。いつも側にいてくださる方。話しかけると何らかの形でいつも答えてくださる方。 もう桜は終わった、これから麦畑、水田の稲穂の季節。そしておたまじゃくし? 「東日本大震災と教区神学生の話」 教区神学生一人は東京の神学校に、二人は福岡の神学校に3月31日の夜の祈りまでに集合しなければなりません。 福岡神学校に今年から3年間、神学の学問を始める二人の神学生と僕、30日に共に飛行機で福岡に向かいました。 僕は福岡県の実家に帰省です。そして彼らと共に僕の実家に行き、一泊です。次の日に彼らは神学校に行きました。4月1日から、彼らの実質的な福岡神学校の生活が始まります。 後、東北関東大震災のことを書こうと思います。 今日は4月8日ですが、テレビ、新聞等のニュースで伝えるところでは、一ヶ月が過ぎ、被災して避難された方々の様子が少し明るく落ち着き、これからの道行きを前向きに行くよ、との心が伺えたのが何よりでした。 時間はかかるかもしれないが支援したいと思います。ところが昨日の23時32分、余震がありました。なんと、なんと、言葉になりません。
Mike Oldfield - Tubular bells (YouTube) |
■ No.65 2011年 3・4月号 |
「神山復正園」の事 現在の「神山復正病院」です。裾野市に隣接した御殿場市に在ります。
ヨゼフ早川三郎神父様の通夜、葬儀ミサが神山復正病院のチャペルで行われ、行ってきました。そこに行くのは30年以上ぶりです。たくさんの会葬者でした。 僕が時々口ずさむ歌、詩は「不思議な橋がこの町にある、渡った人は帰らない。赤く赤く塗った橋のたもとには赤い赤い花が咲いている」。でも本当の歌は「浅川マキの赤い橋」からの借用です。 「神山復正病院」は前の名は「神山復正園」(?)ちょっとあやふやですが、僕が18歳(1971年)で大神学校に入学した時から、秋のプログラムで毎年そこへ行く事になっていました。 その「神山復正園」はハンセン病の隔離療養所でした。そして神学生たちは、療養所の元気な人たちと大きなグランドでソフトボールの試合をしました。今はその場所で、パターゴルフが行われているそうです。 夜になれば、僕達神学生の宿泊する客舎で、まだ元気なそこの人たちと酒盛りして過ごしました。そこへ毎年、東京教区の寺西神父様(元東京神学院の院長)もお酒を抱えて来てくださいました。寺西神父様は、このたびの早川神父様の通夜、葬儀ミサ、告別式にもいらっしゃいました。 財団法人になった今も変わらず広い敷地です。今は裏門になっているのかと思いましたが、僕の記憶にでは、そこが正門だったと思います。幅5メートルぐらいの水の流れの上の15メートルぐらいの橋を渡って行きました。
浅川マキ 赤い橋
ヨゼフ早川三郎神父 以下の写真: カトリック名古屋教区 保管資料より
今月のおすすめ(その1) アレルヤ -- YouTube でご覧ください。
今月のおすすめ(その2) アレルヤ -- YouTube でご覧ください。 |
■ No.64 2011年 1・2月号 |
クリスマスと新年おめでとうございます。
毎年の挨拶の言葉ですが、とても大事な深い意味を持った言葉でもあると思います。 今年の色々の事が思い起こされ、それでも2011年には希望が、希望が自分の思いになりますように、願う心から「クリスマスと新年おめでとうございます」と、願いそして言葉になります。しかし、「アッバ、父よ・・・・・、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マル14)と言われたイエズス様の言葉は、それ以上の希望を僕達に下さったと思います。 永遠のいのちを信じている僕達です。そして「信仰宣言」では、「体の復活」を信じます、と宣言します。でもその事の具体的な事は教えてもらえません、あるいはない。後は学問、神学の先生方に任せるしかありません。僕たちはミサの「告白の祈りの結び」を必ず、永遠の命に導いて下さいますように、と言う言葉で締めます。 今年の出来事で起こった事、色々あります。 「もりの歌 第60号」にも書きました。高畑一成さんの事は本当に、僕に「神様、あなたは何を」と考えさせられました。 またもう一つの事があります。教会の一つの所の改修工事が決まり、その代金の手当てをどうするかで、役員会で一つの方針を決めました。ところが突然、その支払いを、との申し出がありました。その人は「山田券」さんでした。もう天国に行かれたはずの人です。
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