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平政の
小牧教会だより 2017年


■ 2017年12月 待降節・アドベント・探検の期間

主税町教会 聖体顕示台
主税町教会 聖体顕示台


YouTube: Il Divo - O Holy Night


 ラテン語で "adventus" 。ad と venio がくっ付いて出来た単語。将来の事、その意味で「冒険」と言う単語にもなりました。

 何処にたどり着くのでしょうか。「キリシタン」と言う言葉があります。1500年代から徳川代の初期、1630年前後に至るまでの時期のキリスト信者の事です。

 この時代にキリシタン大名もいました。その中で高山右近は知られています。そして多くの信者もいました。彼らを導いた人の中に、「不干斎(フカンサイ)ハビアン」(イエズス会修道士)と言う人が居ました。「妙貞問答」という書物を書き、仏教、儒教、神道の教えを論破していきました。でも何故か、遠藤周作の小説「沈黙」の主人公と同じようにキリシタンの教えから離れます。

 最近、静岡教会にある彫像の「原主水」(宗任雅子著、三一書房)に関する小説を読みました。徳川家康の時代、殉教も恐れない、かえってその教えに順じて死を選ぶ彼らに、死は無駄で、「生かさぬよう、殺さぬよう」な刑罰をしました。手の指10本の親指、人差し指を残して8本指を切り落としました。そして額に十字の焼き印をされ、その他に足の腱も。

 時代は今に。長崎4番崩れから150年。

 僕の生まれた集落を舞台にした小説を読み返しました。「汝等きりしたんニ非ズ」=筑後今村のキリシタン覚書=。200年以上潜伏して守りとおしてきたその教えが、明治の時代になり宣教師によって違うと言われ、ましてや、その教えに身を捧げた肉親の殉教と言える死を目の前で見た主人公は、親の教えと宣教師の改めよとの言葉の間で悩みます。でも捕方に後ろ手に繋がれた人達の中に彼も居ました。

 キリストの誕生は何をもたらすのでしょうか。「信じる事」への思い、「勇気」。

 待降節は、一つの冒険を始める為の準備の期間と受け取りました。


YouTube: Tannhauser - Finale


YouTube: The Beatles - The Long and Winding Road





日本酒 幻の銘柄
日本酒 幻の銘柄



■ 2017年11月 11月は死者を思い起こす月

主税町記念聖堂
主税町記念聖堂(24時間聖体顕示式)

 私たちの信仰宣言の中に、「聖徒の交わり」を信じますとの言葉があります。「神の国」への旅をしている私たちです。先に逝かれた方々は主なる神様の元に。旅するキリストの教会の一人、ブドウの枝の一人である私たちの為に見守っていて下さると思います。

 「出エジプト記」23章は、アブラハムの妻サラの死と埋葬の話です。旅人であったアブラハムはその地の民の人々に、「どうかわたしに畑の代金を払わせ、それを受けとって下さい。そうすればわたしは死者をそこに葬ることができます。」

 キリスト教はこの旧約聖書の思いを大事にしてきました。死者を思い起こし、その思いを大事にすることが墓地になりました。墓地の前に立つ事は、自分の一つの自己確認になります。私は何者か、何処へ行くのか。

 アブラハムは何故、サラの為のお墓の土地を買い取ってまで造りたかったのでしょうか。




故・小川 博氏遺作 自然との対話「里山便り」より、 栗木英次記

 先日、尾張小牧の歴史調査で犬山城下・ライン大橋の南にある鵜飼町・材木町・井堀町を歩きました。ここは故・小川氏の幼年期を過ごされた思い出の町でした。氏は小牧教会創立期の信徒会長を務められ、教区顕彰委員として「あかしする信仰」にも寄稿していただきました。また自然や野鳥の写真撮影で地元犬山地域社会の文化振興に貢献されました。そうした小川氏の祖父銀次郎さんの話「戴きます」をご紹介します。

 「子供の頃、一日で一番緊張したのは食事の時でした。当時は板の間での食事であったから、飯台にこぼした飯粒は勿論のこと、座っている板の間にこぼれたものも拾って食べるのが当たり前であった。それは、お米の一粒一粒には菩薩様や佛様が宿っておられるから粗末扱っては罰があたるという祖父母の言葉が肝に銘じられたからである。・・・ ミサ聖祭のおり、「これはキリストの体」といって麦から作られた聖体としてのパンを戴いてきた。これは信じる者を永遠に生かす命のパンの象徴としての儀式であるが、あるとき、ふと「おじいちゃん」の言葉が思い出された。これは単なるパンではなく、「からだ」なのだと。米や麦を食べるのは単に体のためだけでなく、そこに宿る神や佛の命を戴くことであり、心の健康のためでもあると思えるようになった。・・・・日本人が食前に唱える「戴きます」は、文字通り、生命を戴くという深い意味を宿している奥床しい作法であると、改めて懐かしさとともに今は亡き、祖父母や両親のことを思い出す。」




主税町記念聖堂での24時間聖体顕示式
主税町記念聖堂での24時間聖体顕示式

聖体に対する「信心」。聖体顕示による聖体礼拝です。

「信仰」と「信心」は違うという事をまず理解しておかなければなりません。「信仰宣言」を信じる事。これが信仰です。その信仰を自分のものにする手段として信心の行為があります。具体的に信心行の一つを自分の生活の中に取り入れることで信仰が強くなり、深くなります。信心行には色々あります。まずロザリオの祈りを唱える事、それも多くの人と共に。その他に典礼に合わせて四旬節には十字架の道行きを行う事。また巡礼する事など、色々あり、そして人は自分に合った信心行を探します。

写真はその一つ、聖体を顕示して礼拝します。

「聖体に現存される主・キリストへの祈りは聖体拝領によってえられた主との一致を継続」させるものです。


YouTube: Eucharistic Adoration 聖体礼拝





YouTube: Eric Clapton - Autumn Leaves




■ 2017年10月 僕の育った本郷教会、ちなみに僕の生年は1952年4月です。

聖体礼拝 お知らせ
 10月から始まる24時間聖体顕示式のお知らせです。




今村教会 記事


 1867年(慶応3)2月4信徒発見当初から、本郷地区(当時の本郷村)にも信徒がいた。1881年(明治14)、最初の教会が今村に設立されて以来、雨の日も風の日も雪の日も、一里余りの道程を老若男女、徒歩で今村の教会堂まで通っていた。クリスマス聖夜ミサの際には帰りに一番鶏が鳴いていた程であった。子ども達は弁当持参でミサおよび要理を受けていたなど、特にお年寄りや子どもたちにとって大変なものであった。当時、信徒の要理教育を指導していた柳シカノさんの発意と熱意に動かされた本郷地区の信徒たちは、真剣に本郷地区に教会堂建立を考え、1952年(昭和27)秋頃より具体化へと動き始めた。この信者たちの熱意は、主任司祭の賛同を得、教区長を動かし、さらに本郷地区からブラジルへ移住されていた方々の援助も得て、本郷小教区設立実現の運びとなった。

 教会敷地として平田忠吉氏が現在地の土地を寄贈され、そこが建設地として決定され、本郷地区信徒はもちろん、今村小教区信徒一同の善意もあり、建設資金も次第に調達されていった。それだけでなく、信徒の労働奉仕も目を見張るものがあった。教区長の命を受けて、平田勇師が派遣され、師は毎日のように福岡から来られ、師の指導の下、田の土をトロッコで運んで地上げし、またジョアン又右衛門殉教の血「ハタモン場」の土を運びその土台とするなどの他、聖堂建築に至っても、信徒一同骨身を削って労働奉仕を惜しまず、一日も早い完成を一丸となって目指し、1955年(昭和30)4月29日、溢れんばかりの春の陽射しのふりそそぐなか、第3代福岡教区教区長・深堀仙右衛門司教司式の下、近隣司祭の列席をえて、本郷小教区設立・献堂落成式が挙行された。ここに本郷地区信者の長年の夢が実現したのであった。(「今村信徒発見150周年記念誌」より転載 )




今村教会


 また一人逝きました。兄弟の一番上の長女のご主人、93歳でした。

 9月29日に福岡に帰り、今村教会の通夜式、葬儀ミサに参列しました。
 主司式は息子の青木悟神父様が行いました。

 2月に義姉、7月に兄、そして今回は義兄。
 今年は3回、葬儀のために福岡に帰ったことになります。




YouTube: Jonas Kaufmann - Parla più piano


YouTube: André Rieu - The Godfather Main Title Theme (Live in Italy)




■ 2017年9月 『素顔の名古屋教区』松岡司教の司祭叙階五十年記念 一九六八年発行から転載

小牧・江南・(犬山)巡回教会

 この地方に約二十名の信者が住むようになり、昭和三十五年(一九六〇)、聖心会員シグリ師は犬山市の公民館を週一回借りてミサを捧げた。同年八月二十九日扶桑町出身者が初洗礼を受けた。後をついだカントウェル師は江南市と犬山市でそれぞれ月二回ミサをした。昭和三十七年八月、クリリ師が代ってからは両地におけるミサは毎週になった。同師は江南市大字古知野の現在地を借り、昭和三十九年(一九六四)四月岐阜教会の河合知治氏の協力を得、同教会付属幼稚園の教室を移して現在のカマボコ教会を設置した。現在,江南、扶桑地区には六十名近くの信者がいる。

 昭和三十九年頃、犬山地方の信者は減少したのでクリリ師は小牧に主力を注ぎ、信者が集まりやすいよう小牧駅近くに一室を借りた。この附近の信者約二十五名はそれまで大曾根または城北橋の教会へ通っていた。後、信者が増え、余りにも手狭になったので、クリリ師は市内北外山市場一二〇五に土地を借り、岐阜教会の角谷(カクタニ)博氏の協力で小さな教会を建て昭和四十年(一九六五)十二月二十六日、松岡司教はこの教会を祝別した。市の拡張に伴い岩倉団地はじめ新住宅が建って信者も増え、現在小牧巡回教会所属の信者は百四十名になった。


松岡司教の司祭叙階五十年記念



小牧城
小牧城


コルク栓




YouTube: Jonas Kaufmann. Franz Lehar - Gern'hab ich die Frau'n geküsst


YouTube: Hotel California ホテルカリフォルニア / Eagles イーグルス



卒業して2年目の小笠原
大学を卒業して2年目、小笠原にて


YouTube: BIG Wednesday by Mark Isham



■ 2017年8月 ふりかえれば

兄の通夜式があった今村教会 2017.07.21


 僕は65歳、6男3女の一番下の9番目の子供。また一人兄が逝きました。今は男3人です。二人とも80歳過ぎています。ブラジルの兄も亡くなったそうです。しかし九州の2人の兄たちの事は甥に任せて、僕は名古屋で働かねば。ご心配かけました。

 僕はある人の決断の場面に立ち会いました。とても緊張されていて、この決断がどれ程重たいものか理解しました。

 人は時々決断が、もう帰れない、元に戻れない、先が見えない等々の状況に置かれ選択をしなければならない時があります。

 兄の身の病状を聞いた時に思いました。僕の仕事が、名古屋が、福岡がと、どうしようと。

 色んな事を考えました。結局、通夜式も葬儀にも司式する事が出来ました。そして小牧教会での日曜日のミサも出来ました。

 神様の計らいは、甥の思いにも。ともかく感謝でした。こんな時、外国人修道司祭達は。



教区事務所の入り口の睡蓮 2017.06.07




YouTube: ショパン Chopin Nocturne E Flat Major Op.9 No.2


YouTube: ハヨン・カフマン Jonas Kaufmann - Ti voglio tanto bene



■ 2017年7月 「八木重吉」と「種田山頭火」 僕65歳。

霊名のお祝い


 今月も八木重吉(1898生)の話から。享年29、子供二人、しかも二人とも父親重吉と同じ病気で夭折。その彼は洗礼を受けて神様の摂理を信じ、子供たちの事、妻の事をその思い中で受け止めて生きて行きました。その中で詩作をして来ました。その一つ、

基督が解決しておいてくれたのです
ただ彼の中へはいればいい
彼につれられてゆけばいい

何の疑もなく
こんな者でも
たしかに救って下さると信ずれば
ただあり難し
生きる張合いがしぜんとわいてくる

 種田山頭火(1882生)、享年58。重吉と詩作(俳句)が重なる時期がありました。その自由律俳句は「どうしようもない私が歩いている」二人の違いはどこにあるのでしょうか。

「分け入っても分け入っても青い山」「酔うてこうろぎと寝ていたよ」これらの句は雲水として放浪の中で作られました。仏に心を寄せていました。しかし「風の中おのれをせめつつ歩く」

 二人とも自分に向き合った人生を歩きました。重吉は自分の中に神様を、山頭火は自分の心に「仏様」と「家族」と「お酒」と色々の事が。

 僕は二人の思いを考え、「重吉の心」に行ったり「山頭火のお酒」の方も、と思ったりと。僕の歩みは振り子のよう、でも。

 二人とも落ち着く場所を見つけたのですから良かったと思います。






日曜日ミサ後、今年も福井県敦賀市の水晶浜に行きました 2017/07/16


福井県敦賀市 聖心布教会・黙想の家 キャンプ場 2017/07/16




YouTube: Twin Peaks --- Intro


YouTube: The X Files --- season 1-9 opening


YouTube: Maki Asakawa 浅川マキ 「赤い橋」




■ 2017年6月 六月はイエス様のみ心の月

教区センター 聖母像 2017.06.07

 教会では6月に神様の限りない愛を見せて下さったイエス様のみ心を味わいます。神を愛し、人を愛する事を教えたイエスは「わたしを見たものは、父を見たのだ」と宣言します。それは十字架に付けられ槍で刺された時に頂点になります。神様の為、人の為に自分の命さえ捧げられたイエスのみ心を思い、その思いに少しでも近ずく事が出来るよう6月を過ごしましょう。

 「小牧だより3月号」に小川さんが「八木重吉」の詩を紹介されていました。僕の高校卒業アルバムの寄せ言葉に書いた文言は八木重吉の詩から借りて書きました。「われよべば みえきたりなり 平田政信」小神学校の時代良く読んでいました。その全文は「われよべば みえきたりなり わがよべば みえきたるものの こころのうごきゆえならん もったいなしと となえんか」。

 イザヤ58章に「あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。」の言葉があり、八木重吉はここから思い至ったのかと思います。八木重吉には一行詩もあります。「神様あなたに会いたくなった」と。

 八木重吉の心を思い、イエス様のみ心に思いを馳せたいと思います。


YouTube: Jeff Buckley-Hallelujah


YouTube: Sacerdote cantando aleluya Video Emotivo Original HD


YouTube: Singing priest's Hallelujah wows wedding guests




■ 2017年5月 五月はマリア様の月

教区センターのバラとマリア様 2017.05.12


 ご復活を終わり、僕はお恵みを頂いたように思えます。もう杖も必要ないような歩行が出来るようになりました。でも、階段はまだ不安です。改めて昨年2016年は僕にとりなんだったのかと考えています。

 過去をふり返るといつも神様が共に居て下さった、との思いがこのたびの病歴でもあったのかと思います。僕と共にそして僕の為ではなく。神様が僕の病気をとうして、神様のもとに神様と関わりのある人たちをまた集めるという事でも。

 色々の場面でお祈りしたい状況に僕たちは生活しています。様々な人々の人生が、生活が、日々の日常の中に繰り返されて歳を重ねて行くのでしょう。その中の僕もその一人です。その中で「誰に」お祈りを捧げお願いするのか僕は知っている事だけでも幸せだと思います。

 そしてまた、困難な時代にはマリア様がいつも近くに居てくださいました。今からも。

 まあともかく教皇フランシスコの回勅『ラウダドー・シ』を読み、21世紀の、いや、今の時代から何とか「人類家族全体を一つにし」との思いが。

 漫画の世界ではありませんか?「宇宙戦艦ヤマト」?。




YouTube: Andrea Bocelli / My Way ( A Mi Manera )



YouTube: Jonas Kaufmann / Puccini Nessun Dorma from "Turandot" - BBC Proms 2015





■ 2017年4月 ご復活おめでとうございます。

聖母像



 聖週間の日々、あるいは前の週、桜の下での幼・保園の入園式、小学校の入学式、企業への入社式。でも僕は喜んでいます。僕の誕生日は4月15日。今年の教会の暦は4月16日がご復活の祝い日。僕の中では嬉しい重なりの暦です。カトリック教会の暦のご復活の祝いと僕の誕生日を何故か全世界でお祝いしてくれているのかと、想像します。

 そして「小牧だより」も1週間遅れました。それは年の黙想会が4月第一日曜日になり、来て下さる神父様の教会に僕が代わりにミサを行いに行く事になって、それに伴い宣司評会議も一週間延ばされ4月9日になってしまったからです。

 3月は新司祭の誕生月です。今年も神言修道会に二名の新司祭が誕生し、教区では終身助祭が一名(早川和彦)助祭叙階を頂きました。僕の司祭叙階は3月8日でした。この事で同じ年に叙階された7名の同窓生と1年遅れの35周年を祝うために、温泉旅館に集合して旧交を温め、新たな出発を誓いあいました。

 小牧教会では総会も終わり、新たな会長さんのもと、2017年度が始まりました。これからも宣教司牧共同体として神様に導かれ、共に歩んで行きたいと思います。




 大腿骨頸部骨折骨接合手術から1年2ヶ月が経過しました。詳しくは2016年3月号12月号をご覧ください。

 多くの方から、「足の調子はいかがですか?」とか、「最近、歩くのがスム-ズになりましたね」と声をかけられます。返事は、「おかげさまで」と答えています。

 途中、再手術になりましたが、現在少しの距離の歩行、階段の昇降には問題ないところまで戻りました。しかし、ちょっと怖いところもあり、下の写真の短い杖はまだ日常生活に手放せないものです。でも、小牧教会のお御堂では、もう杖は香部屋に置いてミサをすることが出来ます。

 皆様には色々ご心配かけました。ありがとうございます。


大腿骨骨折手術レントゲン写真



 写真は左上が接合手術後。右側は再手術の折取り出した金属。下の右側は今僕の足の関節に埋め込んだ人工関節。そしてお世話になった杖です。

 2004年8月9時30分から14時30分の5時間、胃がんの手術をした時から久しぶりの外科手術でした。2回の手術時間を合わせると今回は前より少し長かったかも。

 それで、この間この曲を聞いていました。さて、どんな曲でしょうか。

アベマリア 歌劇「カバレリア・ルスチカーナ」より
アベマリア 歌劇「カバレリア・ルスチカーナ」より



余分ですが、アラン・ドロンの筆跡の練習に使った万年筆はモンブラン。





YouTube: Placido Domingo & Jonas Kaufmann. Franz Lehar - Dein ist mein ganzes herz 2015年



YouTube: 「太陽がいっぱい」サウンド・トラック



YouTube: 淀川長治 解説 "太陽がいっぱい" (音声のみ)



YouTube: Santana - Black Magic Woman 1971



YouTube: Mike Oldfield 'Tubular Bells' Live at the BBC 1973





■ 2017年3月 ユスト高山右近、列福

 昨年1月21日教皇フランシスコが列福を承認したユスト高山右近の列福式が、2月7日(火)正午から大阪城ホールで開催されました。僕は行けませんでしたが小牧教会からも数名が出席されました。名古屋教区では列福感謝ミサが右近と関連の深い金沢教会でありました。今度は出席しようと思っていたところ、福岡の実家から義姉の訃報が入り、こちらの方に行きましたのでミサには参加する事が出来ませんでした。尚、2月3日がユスト高山右近の記念日に正式に決まった事が発表されました。


金沢教会の庭に立つ高山右近
金沢教会の庭に立つ高山右近


教皇大使のお迎え
教皇大使のお迎え


 また、2月26日(日)福岡の僕の受洗教会の「今村信徒発見150周年記念」のお祝いミサがあり帰りました。そして、この事で思い起こされるのは150年前、1867年7月15日長崎奉行の探索により浦上の潜伏キリシタンが捕縛され、浦上四番崩れが始まりました。今村のキリシタンは浦上の信徒により発見されました。ちょうど同じ年四旬節の2月26日でした。


今村教会のお御堂内部
今村教会のお御堂内部
祭壇中央に大使。右側の朗読台に僕の姉の子で甥にあたる青木悟神父(福岡教区事務局長)。


 大浦天主堂が完成したのは1865年2月でした。その後プチジャン神父と浦上の信徒の出会いはその翌月の3月17日でした。

 右近の信仰の中での歩みの証が長崎、浦上にそして福岡、筑後の今村に伝わっていました。



YouTube: (マタイ受難曲17番コラール)St Matthew Passion, 17.Choral;
Ich Will hier, J.S. Bach


カトリック聖歌集171番「いばらの冠り」P90
いばらのかむり おしかぶされ
きびしき鞭に はだはさかれ
血をながるる 主のみすがた
いたましきさま たれのためぞ



■ 2017年2月 地域社会との関わり

YouTube: この道(唱歌)


 2月1日(水)、有泉会長さんと小牧市隣接の市の社会福祉協議会の事務所を回りました。これは毎年行う事です。秋の「教会まつり」の寄付金と「クリスマスの献金」の合計から、相応の金額を宣司評会議に諮り、決められた金額を寄付して来ました。また、地域とのかかわりのある「社会福祉法人」の2つの施設も合わせて回りました。車での回りですが一日かかります。

 この慣習は前任司祭の早川神父さんの意向が反映されて始められた事と聞いております。各協議会、施設には本当に少額の金額です。郵便振替でも良いのではとの意見もあったそうですが、教会の方から人が出かけて行く事が選ばれ今年もそうしました。僕の4回目に回った後の感想ですが、それぞれの所で小牧教会さんの来られることを予想しているような対応をされていました。言葉にすれば「毎年ありがとうございます」です。

 地域社会との関わりは人と人との関わりと組織と組織の関わりがあると思います。人と人の関わりは皆様の日頃の行いでしょうけど、組織との関わりはそうではありません。その意味でこの教会の毎年の行いは重要な意味があります。一つの例ですが、災害時の対応などが考えられます。教会側の対応はカリタス名古屋が動きますが、それだけでは情報は不十分です。そこでたよりになるのが各社会福祉協議会です。また、障害者の事は教区の社会福祉委員会では対応の限界があります。

 教会と地域との関わりは小牧教会としてはこれだけではと思います。その意味で今回の回りも大事な事だと思います。





葬儀

 僕は今年満65歳になります。高齢者になります。

 2017年2月7日、義姉のフミ子さんが亡くなりました。享年82。この日の前にこの事の連絡は受けていました。僕の母親が94歳まで長生きしたのはフミ子さんの何かにつけての気配りとお世話のおかげだと思います。母親の子供たちは僕も含めて皆世話のかかる子供たちです。それを皆引き受けて日々の暮らしを重ねて来られました。本当に感謝です。で、金沢市での9日の高山右近の列福感謝ミサに出席が出来ませんでした。この日がフミ子さんの葬儀の日でした。説教に列福式の事をふれようかと思いましたが止めました。

 僕の親父は60代後半まだ70歳には届かない時に帰天しました。肝臓がんと言う事でした。で、母親は歳を重ねて実家での療養。あと色々。実家の義理の姉フミ子さんには大変お世話になり、その長男のお嫁さんにもお世話になり、曾孫の顔も見て。そしてその後老齢いとともに力を無くしました。その後、力がなくなり病状はいつでも天国への状況でした。実家での療養の中、容態が悪いと連絡を受け出来るだけ早く帰りましたが、夜分になり遅くなりました。それでも僕の帰りを待っていたようで、僕の顔を見て「ウン、ウン」とうなずいて、涙を流しました。僕も安心して席を離れたあとに姪が呼びに来ました。享年95。

 僕の母親がもう歩けなくなり四足になりましたが、フミ子さんの孫と畳の上で四つん這いの競争をしていました。僕は笑いましたが、僕が見ていることは年に一回の休みで帰った時の事で、普段の日常生活では?滑稽ですが今思えば良いリハビリになっていたのかと思います。その孫も今年高校を卒業します。


今村教会(福岡県)より4キロ離れた葬儀会場の本郷教会  2017.02.09




主税町教会のルルドの築山 2017.01.31

*主税町教会記念聖堂での初金ミサを4月から行います。



■ 2017年1月 新年おめでとうございます


カトリック小牧教会(耐震工事後 2015年2月撮影)

 元旦のミサの第一朗読で読まれた祝福の言葉を皆様と頂きたいと思います。

 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。
 主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。(民数記 6:24-26)

 わたしは昨年色々の事を経験しました。そのすべてが神様の摂理と思い、
今年も皆様と日々をその導きのもとに歩んで行きたいと思っています。




以下の二つの曲は一般的に男と女の間柄の曲と思われます。
僕は『あなた』言う言葉を『神様』に置き換えて聞いています。
「Time to Say Good」は神様から派遣された僕の思いになります。
「新たな出発の歌と受け取りました。また特にピアフの歌う歌、彼女の人生を
考えて最後の言葉「Te」を神様に置き換えて聞くと、「祈り」になります。

YouTube: Time to Say Goodbye / Sarah Brightman


YouTube: カノン Kanon - タイム・トゥ・セイ・グッバイ Time to Say Goodbye


YouTube: Non, je ne regrette rien : Edith Piaf / 水に流して


YouTube: 『水に流して』 美輪明宏 H.24.12.30